4・5年前までは、住宅産業では「高気密高断熱」
という言葉をよく見、よく聞いた。
そのころは私は標準気密高断熱が良いのでは思っていました。
南北に長い日本において、そもそも住宅がどこもかしこも
「高気密高断熱」で良いのか?
という疑問もあったし、平地、里山、山地、海岸沿いと
住宅が建つ環境は全て違う。
ましてや住み手も十人十色だ...
そんな中で「高気密高断熱」を謳い文句とした
メーカーや工務店がわんさかいましたね。
もちろん国や自治体もその流れを推して、
まるで一島均一化を目指しているようで。
確かに高断熱は必要だとは常々思ってはいることで、
特に屋根面の高断熱化は必須だと思っており、
それは寒い地域も暑い地域も閑散地も密集地も平地も山地もである。
気密に関して言えば、熱損失という点ではそうですが
高温多湿の日本では全てが高機密が良いとは思わない。
湿気を吸放湿したりスルーさせたりという場合もあると思っている。
以前いた軽井沢は、個人的な意見としては室内の湿気は
外気側にスルーさせるかたち、つまり高気密ではない仕様が良いとおもている。
その「高気密高断熱」という言葉とその数値化を各社が競って
自社広告に謳っていたかと思えば、今度は「高性能」「高品質」...
まるで呪文のようだ。
住宅の性能や品質が上がるのは設計者として大賛成である。
ただ見ているとそれも「数値」ばかりを追っている気もしないでもない。
性能や品質は数値化しやすいので目標とするには好都合だけど、
住宅に関して言えば、それだけを重点とした住まいは=心地良い住まい、
=住むことの楽しさを味わうではないと思う。
人それぞれ感覚は違う。もちろん体感も違うし意識、育った環境によって
習慣となったものが違うのに目指す数値は一緒...
人が多様であるならば、住まいも多様であるべきであり、呪文をかけて
均一化に向かうのではなく、住まい方の多様化を求めながら
それぞれの住まい手が求める希望や要望を具現化していくことが
設計者としてまず先にすべきことだと感じている。
古道具をアップサイクルさせているお店が増えた。
置かれているものは、明治や大正、昭和など
いわゆる「アンティーク」や「ヴィンテージ」なもの。
週末のお店は人でいっぱいで賑わっているが、とりわけ若い人が多い。
「高性能」「高品質」じゃないものなのに。
若い人たちの「アンティーク」や「ヴィンテージ」なものを見るその目は、
キラキラと輝き喜びに溢れている。
また古民家を改修したカフェなどを検索しては
わざわざ行くのが流行っている。
「高性能」「高品質」じゃない建物なのに。
ビジネス側の、管理側の都合の良い呪文...
2年もすれば誰かがビジネスのために
また新たな呪文を唱えるのでしょう。
by GIGI
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