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大学生の私をイタリアへ連れていったデザイン。

  • 執筆者の写真: GIGI_mtk
    GIGI_mtk
  • 23 時間前
  • 読了時間: 4分

60歳の私から、20歳の私へ。


先日、お盆休みを利用して東京へ行った。


目的のひとつは、八重洲のアーティゾン美術館で開催されている

エットレ・ソットサスの展覧会を見ることだった。



ソットサス Ettore Sottsass


この名前を知ったのは、大学生の頃だった。


その頃の私は、スカルパやアルド・ロッシなど、イタリアの建築家の作品や建築論に興味を持っていた。

大学2年から3年に上がる頃には初めてヨーロッパを旅し、

建築だけでなく、街の大きさ、建物の在り方、色、暮らし、歴史、

そのすべてが日本とは違って見えた。


そんな時期に出会ったのが、ソットサスであり、彼を中心に集まった「メンフィス」だった。

雑誌や本を開くと、そこには、それまで自分が思っていた「デザイン」とは少し違うものがあった。

色がある。形がある。そして、妙に楽しそうだった。


なかでも記憶に残っているのが、オリベッティのタイプライターだ。



当時、実物を見たわけではなかった。それでもずっと覚えていた。

シンプルで、整った形。余計なものがなく、スマートで、そして色がいい。


当時の日本のワープロは、私の記憶では、

少し沈んだグレーのプラスチックの箱のようなものが多かった。

それに比べて、彼のタイプライターは、

使わないときでもそのまま置いておきたくなるような佇まいだった。


そして約40年後。


そのオリジナルが、目の前にあった。


「そうそう、これこれ。やっと会えた。これだったんだなあ、あの頃のインスピレーションは。」


そんな感じだった。少し大げさかもしれないが、感無量だった。


でも、ソットサスから受けた衝撃は、タイプライターだけではない。


陶器の輪や幾何学的な形を積み上げた「トーテム」シリーズ。

大学生だった私は、写真を見ながら、

「なんなんだ、これは?」「何に使うんだ、こんなもの。」

と思った。



当時の私にとって、デザインとは、

どこかで「機能を形にするもの」だったのだと思う。

椅子なら座る。照明なら照らす。タイプライターなら文字を打つ。

けれど、トーテムには、そんな分かりやすい用途が見つからない。

それなのに、ものすごく強くそこに「在る」。


今になって思うと、あのとき私は、

デザインの居場所について初めて考えさせられたのかもしれない。

ひとつのものが置かれることで、その周りの空気が変わる。

人の視線がそこへ向かい、その場の在り方まで変わる。

それもまた、ひとつの機能なのかもしれない。


ソットサスのガラス作品にも惹かれた。



一方で、「メタファー」シリーズのようなモノクロームの作品もある。

表現の仕方は違うのに、どこか同じ人がつくったものだと感じる。


そこには、形や色の奥に、何か考えている人がいる。

思想と言えば少し固い。オーラと言えば少し曖昧すぎる。


でも、確かに何かがある。


うまく言葉にはできないけれど、感覚としては分かる。

大学生の私は、そんな「見えない力」に惹かれていたのだと思う。


イタリアの建築を見たい。リノベーションを学びたい。

それも、私がイタリアへ向かった理由だった。


でも、それとは別に、イタリアのデザインが持っていた、

あの説明しにくい力に近づいてみたい、

という気持ちもあったのだと思う。


20歳そこそこの私は、それらをきれいに言葉にできてはいなかった。

ただ、惹かれていた。

それで十分だったのかもしれない。


約40年経って、ソットサスの作品を目の前にしながら、そんな頃の自分を思い出した。


建築を仕事にして長くなると、考えることは増える。


予算。法規。性能。工期。効率。

どう実現するか。


もちろん、どれも大切なことだ。


でも、それらをまだほとんど知らなかった頃の私は、もっと単純に、


「これ、いいな。」

「なんなんだ、これは。」

「こんなことをしてもいいんだ。」


と感じていた。


ソットサスの作品を見ながら、久しぶりに、その感覚を思い出した。

そして、素材を素直に扱いたいという、自分の中に残っている感覚にも気づいた。


木なら、木の表を見せたい。


ソットサスの色や形とは、ずいぶん違って見える。

でも、自分の中ではどこかつながっている気がする。


表現を必要以上にひねらない。

感じたものを、素直に形にする。


60歳になった今、20歳の自分に何か言えるとしたら、

「その感覚は、案外長く残るよ。」

そんなことかもしれない。


40年もあれば、考え方も、仕事も、住む場所も変わる。

手にする物差しも増えていく。

それでも、若い頃に理由も分からず惹かれたものが、

ずっと奥の方に残っていることがある。


今回、ソットサスに会いに行ったつもりだった。


でも、久しぶりに会ったのは、

20歳そこそこの自分の方だったのかもしれない。


「そうそう、これこれ。」


あのときの私は、確かにここにいた。


答えを探す前に、本質を探そう。


by GIGI

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